今日の日記
2003年12月11日 「to R 日曜日」は(再々)×7+1、お休み。
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つまらぬことをば。
私にだって紆余曲折は多少ある。
例えば、小学校の時、イジメにあっていた。
学校なんて行きたくなかったし、大嫌いだった。
どれほどの仮病を使ったか、定かではないし、
親を困らせたことも数知れず。だろう。
でも、小学校の卒業式の時、
私は密かに心に、でも、恐ろしいほどに強く思った。
「私は私を変える。」
そして、中学に入り、私の立場は逆転した。
私は勉学とクラブに励み、私は私を変えた。
人の評価など、所詮はウワベの仮面のみ。
ナイフを素手で握れるような心を持っていたとしても、
そんなものは誰にも分からない。
鬱屈と狂喜の魂は、そうなることに時間はかからない。
「イジメられる側から、イジメる側へ。」
こともあろうに、その痛みを知っていながら、
自らがその行為へと進んだ。
直接的ではないにしろ、間接的に。それも罪。
でも、その頃の私には、分からなかった。
いや、分からないフリをしていただけだろう。
「私は私を変える。」
でも、それは良かったのだろうか?
善悪の可否は、たぶん、誰にも分からない・・・。
願わくば、すべての人よ、
今、「自分を変えたい。」という願いがあるのなら、
今ある気持ちを忘れぬよう、そのうえで、
自分を変えていってほしい。と思うばかりである。
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つまらぬことをば。
私にだって紆余曲折は多少ある。
例えば、小学校の時、イジメにあっていた。
学校なんて行きたくなかったし、大嫌いだった。
どれほどの仮病を使ったか、定かではないし、
親を困らせたことも数知れず。だろう。
でも、小学校の卒業式の時、
私は密かに心に、でも、恐ろしいほどに強く思った。
「私は私を変える。」
そして、中学に入り、私の立場は逆転した。
私は勉学とクラブに励み、私は私を変えた。
人の評価など、所詮はウワベの仮面のみ。
ナイフを素手で握れるような心を持っていたとしても、
そんなものは誰にも分からない。
鬱屈と狂喜の魂は、そうなることに時間はかからない。
「イジメられる側から、イジメる側へ。」
こともあろうに、その痛みを知っていながら、
自らがその行為へと進んだ。
直接的ではないにしろ、間接的に。それも罪。
でも、その頃の私には、分からなかった。
いや、分からないフリをしていただけだろう。
「私は私を変える。」
でも、それは良かったのだろうか?
善悪の可否は、たぶん、誰にも分からない・・・。
願わくば、すべての人よ、
今、「自分を変えたい。」という願いがあるのなら、
今ある気持ちを忘れぬよう、そのうえで、
自分を変えていってほしい。と思うばかりである。
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