今日の日記
2003年12月15日 「to R 日曜日」は(再々)×8+1、お休み。
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よくある話だが、
例えば、目の前に自分の探している『ANSER』が落ちていたとしても、私はそれに気付かないだろう。
当たり前だ、私の探しているもの『ANSER』というものが、どんなものなのか私自身、理解ないのだから。
じゃあ、どうすれば『ANSER』に気付くことができるのだろう?
簡単だ。『ANSER』というものを知ればいい。
でも、『ANSER』を知った時点で、例え理解できなくても、理解ったような気になって、
結局、目の前にある『ANSER』を通り過ごしてしまう。
同じことの繰り返しだ。
だが、だからといって、“理解しなければ意味がない。”
何てことを言いたいわけじゃない。
時間変則的に変わっていく『ANSER』を真に理解することは大変に難しい。
じゃあ、やっぱり、どうすればいいのだろう?
私は思う。
雲の糸にすがるのもいい、一本のワラから始めてみるのもいい。
でも、どんなに頑張っても、自分一人じゃ、どうにもならない時、
“想いを言葉に”“信じ伝えること”
それはどんなカタチでもいい。そうなのかもしれない。
「僕は…。」
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よくある話だが、
例えば、目の前に自分の探している『ANSER』が落ちていたとしても、私はそれに気付かないだろう。
当たり前だ、私の探しているもの『ANSER』というものが、どんなものなのか私自身、理解ないのだから。
じゃあ、どうすれば『ANSER』に気付くことができるのだろう?
簡単だ。『ANSER』というものを知ればいい。
でも、『ANSER』を知った時点で、例え理解できなくても、理解ったような気になって、
結局、目の前にある『ANSER』を通り過ごしてしまう。
同じことの繰り返しだ。
だが、だからといって、“理解しなければ意味がない。”
何てことを言いたいわけじゃない。
時間変則的に変わっていく『ANSER』を真に理解することは大変に難しい。
じゃあ、やっぱり、どうすればいいのだろう?
私は思う。
雲の糸にすがるのもいい、一本のワラから始めてみるのもいい。
でも、どんなに頑張っても、自分一人じゃ、どうにもならない時、
“想いを言葉に”“信じ伝えること”
それはどんなカタチでもいい。そうなのかもしれない。
「僕は…。」
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