4月1日の日記
2004年4月1日to いうわけで、
日記を書いては中途半端に終わってしまって、書けなかった日記特集!!!!!
(▽`*ノ)ヽ(* *)ノ(ヽ*´▽)ヽ(*´▽`*)ノ 酔っ払ったぁ〜
って、書けなかった理由はそれかい!!\(ToT)
のた打ち回るビールの空き缶 アルミ缶
タバコの灰を集めて 肥料にするの
残ったフィルターは 燃えないゴミです
ティッシュの箱の口についている
ビニールも ちゃんと剥がして 分別してます
エコロジー na オトコ☆エコロジー na オトコ
ちょっと几帳面な B型のオトコ
『僕と彼女の・・・』も見ていて、
彼が父として変わっていく姿がとても印象的だった。
特に、最後で、剛とリンの会話が父の娘の会話というより、
微妙に友達同士の会話になっていたところに少し嬉しく思った。
…というか、演出家が良かったのかもしれないがね。
つい先ほどまで、テレビで『黄泉がえり』という映画を見ていた。
草薙 剛が主演だったのだが、やはり、彼はいい。
私は個人的に彼が好きである。
キャラクターがおもしろい、カッコイイというわけではないが、
感情の表現の仕方(もって生まれたものかもしれないが)が、
見ていて、とても自然で、親近感が沸く。
キムタクにはなれないが、剛にはなれそうな気がする…。
そういう感覚かもしれない。
実際は、立っているポイントが違うのでそうなりえないが。
(ポイントというのは、上下に差があるのではなく、
平面として捉えて、立ち位置が違うということ、である。)
しかし、彼はいい。
人は心の中に一つの物事に対して一つの結末を持っている。
いや、結末を欲していると言うほうが正しいかもしれない。
例えば、小説や映画なので、ストーリーの結末が中途半端に終わったとき、
違和感を覚える人は多々いるのではないだろうか?
それはなぜか? 結末が自分の思う結末ではないから?
それとも、自分が想像しえない結末を望んでいるから?
でも、真の結末はその中にすでに出ているはずである。
ストーリーの終焉、それが結末なのだから。
ではなぜ、納得できないのか?
サア・・・( ̄ー ̄∂) ポリポリ
それを見ている、読んでいる今の自分の気持ち次第でかわるからねぇ・・・
・.:゜。┣\(’ロ´\) コリャ〜!!
ってか、言葉が全然まとまってねぇ〜
まぁ、いまさらなことではないが ┓(´_`)┏
〔†〕 m( ̄0  ̄〃)オオ!カミヨ!!
私の脳をシャッキとさせてください!!!!!!!
(カミサマ)
では、闘魂注入!! †_(`O´)/悪魔よ され!!
超ウルトラ頭突き de ドン!!!!!
ファイトォォォ!!( ・□・)乂(・□・ )イッパァァァツ!!
ヘ( ̄▽ ̄ヘ)アー(ノ ̄▽ ̄)ノコリャコリャ(ノ ̄▽ ̄)ノ(ノ ̄▽ ̄)ノ
脳が覚めました!!! 享世、怒涛の覚醒です!!!!・・・(うそ)
サクラ色の気持ち 君にどうやって伝えようか?
散りゆく運命(さだめ)と知っていても
でも それは悲しみじゃないよ
強くなれた サクラ色の気持ちが
散りゆく瞬間(またたき)の美しさと
新たなる息吹を教えてくれる・・・
{{{{{{{{{{{{{以上。}}}}}}}}}}}
コメント