−焦り−
2004年10月4日焦っているときに「焦るな。」と言われて落ちつけるはずがない。
余計に焦る。そしてまた「焦るな。」焦りは倍化されていく。
これで物事がうまくいくはずはない。当然、失敗に終わる。
まず最初に思うのは、自分の所為だということより、
「焦るな。」といった人に怒りを覚える。
「焦るな。」というから余計に焦ったのだと。
そこでもう少し違う言葉だったら、私は大丈夫だったはずだと。
でも、すぐに思い直す。
結局、自分の所為だと、自分が焦ったからだと。
それは自分の所為なんだと。 自分が不甲斐ないからだと。
自分さえしっかりしていれば…自分が…自分が…と。
それは混沌とした泥沼。 自己否定のメビウスの輪。
自分自身の不必要性を論理的に考える。
そんな論理はありはしない。
解かっていても、自分自身の必要性を肯定できない。
不安が不安を呼び、さらに忘れていた過去の不安までも呼び起こす。
そして、さらにそこから考えは進む。
どこへ進む? それからどこへ進むというのだろう?
答えは…もうそれ以上進んじゃいけない。
進むのではなく、戻るんだ。 焦っていたあの日に。
そして、今度は焦らないようにどうすればいいかを考える。
でも、ひとりで考えちゃダメだ。
ひとりよりふたり、3人…とみんなで考えよう。
きっと答えは見付かるはず。
それが何年何十年かかってもいいじゃないか。
みんなで色々な答えを探そうじゃないか。
そうやって答えを探しているときが一番楽しい。
少なくとも、私はそう思っている。
だって、現実にそうだから。
余計に焦る。そしてまた「焦るな。」焦りは倍化されていく。
これで物事がうまくいくはずはない。当然、失敗に終わる。
まず最初に思うのは、自分の所為だということより、
「焦るな。」といった人に怒りを覚える。
「焦るな。」というから余計に焦ったのだと。
そこでもう少し違う言葉だったら、私は大丈夫だったはずだと。
でも、すぐに思い直す。
結局、自分の所為だと、自分が焦ったからだと。
それは自分の所為なんだと。 自分が不甲斐ないからだと。
自分さえしっかりしていれば…自分が…自分が…と。
それは混沌とした泥沼。 自己否定のメビウスの輪。
自分自身の不必要性を論理的に考える。
そんな論理はありはしない。
解かっていても、自分自身の必要性を肯定できない。
不安が不安を呼び、さらに忘れていた過去の不安までも呼び起こす。
そして、さらにそこから考えは進む。
どこへ進む? それからどこへ進むというのだろう?
答えは…もうそれ以上進んじゃいけない。
進むのではなく、戻るんだ。 焦っていたあの日に。
そして、今度は焦らないようにどうすればいいかを考える。
でも、ひとりで考えちゃダメだ。
ひとりよりふたり、3人…とみんなで考えよう。
きっと答えは見付かるはず。
それが何年何十年かかってもいいじゃないか。
みんなで色々な答えを探そうじゃないか。
そうやって答えを探しているときが一番楽しい。
少なくとも、私はそう思っている。
だって、現実にそうだから。
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