−右往左往−

2004年10月20日
う〜む、詩&詞を書こうと思うと何も言葉が思い浮かばない。
しかし、日記は書ける。 なぜだろう?

私は前までは日記を書くとき、「何か書かな。」と思ってPCに向かっていたが、
今は、「何か書こう。」と思って、今このPCに向かって日記を書いている。
ほんの少しの違いかもしれないが、私にとっては大きく違うように思う。

前者の気持ちのとき、どこか使命感とか義務感が気持ちの上であったのではないか?
日記をつける、人から見れば大したことのないようなことかもしれないが、
私から見れば大きい存在だ。
なぜなら、日記というのは他人の思考を覗き見る行為といえると思うからだ。
言ってみれば私も見られているわけで、だからおいそれとは変なことは書けない。
そう思い込んでいたから。

本当は誰に見られようが『自分のために』、ただ思うことを書けばいいのだ。
私には今までそれが出来なかった。

『自分のために』…それは私にとって一番難しいことだと思う。

例えば生き方として、自分のために生きる。…私は出来ているだろうか?
答えは“NO”だろう。
自分のために生きるのは難しい。 誰かのため、何かのため、そのほうが、
たぶん生きていく上ではラクだと思う。

私はそう考えるがどうだろうか?

誰かのため、何かのため、それは自分のために生きているんだと
自分で自分に言い聞かせる。

今のところ、この言葉に疑問は持っていても、変えていこうとは思えない。
ただ、私より数歩も数十歩も先を歩いている人がいる。
自分のための生き方を模索しながら、日々生きている人がいる。
私の近くにもいるが、それはそれでそれ相応の苦悩があるのだろう。
自分のために生きるという事は難しい問題なのかもしれない。

私はそれを見て尻込みし、今のままでいいやと思ってしまう。
私はそれなりに生きて、またそれなりに生きることが可能な人間だ。
それがいいことなのかどうかは、私には解からない。
解かるぐらいなら今とは違った生き方を選択しているはずだから。

少し話しが飛躍しすぎたが、ただ、ひとつ解かったことがある。
使命感とか義務感で生きていると、必ずどこかで壁にぶち当たる。
だから私は日記を書けなくなったのだし、自分のことに興味がないのだろう。

だから、私は今は少し違った見方でこの日記を書いている。
脳内に浮ぶ言葉達を、それがどんなに右往左往した言葉であろうが、
私は書くことにした。いや、しようと思う。
だから、こうして今も日記を書いているのだろう。

後者の気持ちで、とにかく何か書こうと思う今日この頃である。
ただ、言葉が右往左往しているのはご了承願いたい。 by 享世


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