話は戻るが、「イヤなら見るな。」

この言葉の真の意味は、イヤでも見たいなら、
そこに書かれている言葉の言葉そのものに反応せず、
その言葉を書いているその人を想像してほしい。
悲しいことがあって泣きながら書いているかもしれないし、
苦しいにもかかわらず、救いを求めて必死に書いているかもしれない。
すごくうれしいことがあって、微笑を書いているかもしれないし、
怒りに震えてキーボードをたたいて書いたのかもしれない。
ただその言葉は意図して消さない限り、そこに永遠にあり続ける。
その一瞬に感じた感情が。それを見てしまうのがイヤだって人がいる。
でも、それが大事でしょう。
その人がその言葉を書くためにどれだけのことを想い、どれだけのことを感じ、
どれだけの希望と失望を込めその言葉を残したか、それを感じて欲しい。
そしてそれは一瞬の感情を凝縮し、
そこに残るからまた自分自身を見つめなおすことが出来るんですよ。

それが大事なんです。全てはそれを書いている自分自身のため。
そう思いませんか?

ひとつ言っておきますが、見てもらうために書くというのとは
ちょっとニュアンスが違うのでご注意を。

ネットの中の言葉は現実世界で言う感情なんですよね。
顔で笑って心で泣いて。
顔を言葉と例えるなら、心は…そう、今キーボードたたいているあなたです。
想像してください。今この言葉を書いている誰かの姿を…。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

とりあえず思うことを書き並べました。
異論反論がある方はいつでもどうぞ。
ってか、この文章やっぱりまとまりなくて変だぁ…。

よし明日は今日よりうまくなろう。
そして三歩進んで、二歩下がる^^;

享世DE↓。


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