やっぱあかんわ。

2006年6月14日
思っていることを言葉にする。
現実に生きて、社会的に友好的な人間関係を構築し、継続させるためには、
思っていることを言葉にすることは不可能である。
なぜなら、人間には図らずも裏と表があり、またそれが人間だという以上、
自身の持つ裏をそう思うからといって一々言葉にしていたら、
ただの馬鹿だと思われるし…


ネットは現実社会の延長じゃない。


ネットに書いている言葉というのは現実に発する言葉とは違い、
思ったことを思ったふうに、思った言葉で書いている。
つまり、現実では言えない言葉を書いている。

その言葉に一々反応していいのかどうか?

例えば、恋人と喧嘩して、とても暗い気持ちで「死にたい。」と書いた。

しかしその数分後、彼女からメールがあり、とても明るい気持ちで、
「やっぱり、生きているっていいね。」と書いた。

しかしたまたま、「死にたい。」という言葉だけを見た誰かさんに
「死ぬなんて軽々しく使うものじゃない!」と怒られたとする。

では、そういわれたあなたはどう感じるだろう?

1−確かにその通りだ。と思い、謝罪する。

2−何を!ここは何を書いてもいい空間だ!と怒り、反論する。

さてどっち??

私が思うに、確かにその通りだと思うが、それはその時々の気持ちの表現であって、現実では言葉に出来ない言葉を書いているのだから、仕方がない部分が多々ある。
それに、何を書いてもいい空間に指定している分、「嫌なら見るな。」という断りをつけたとしても、見る人は見る。
が、一応、「嫌なら見るな。」という断りは入れているのだから…

いい人だからこそ、そのひとのいい言葉がめちゃくちゃ気に障る。

前提、
ネット上、例えば、「嫌なら見るな。」という断りをいれたとする。

その上で、その公開しているウェブサイトにおよそ現実では言えない言葉を連鎖させたとする。

de 問題ありますか? ありませんよね。

では、たまたまそのサイトを見た人から、「君は何てことを書いているんだ!」と怒られたする。

de この怒った人(凹)は悪い人でしょうか?
  悪い人ではないでしょうね。 解るよね?

さて、怒られてしまった現実では言えない言葉を連鎖させた人(凸)はきっと、
なぜ(凹)は怒っているのかわからないでしょう。
なぜなら、「嫌なら見るな。」と書いておいたのだから。
結果、「嫌なら見るなよ。」ってことになりますね。

もしかすると、逆に不快に思い、さらにエスカレートするかもしれません。

ではでは、ここで問題です。

(凸)(凹)さんの根本的なネットに関する考え方が違うことにお気づきでしょうか?

私は思うのですが、
(凸)にとってはネットは仮想の空間。
(凹)にとってはネットは現実の延長。

そういう捉え方をしているように思います。

また、このネットに対する考え方の違いは大きな隔たりがあるでしょう。

あるよね?

ネットだからといって何を書いてもいいのか?ってことと、
ネットだから何でも書けるんじゃないか!ってことにはすごい差があるように思う。


つぅうか、この世界に共通の倫理はないのか?
あるわけないか、現実にもないようなものだから。

そこからが解らないんだよね、ってか書けないんだよ。
確かに隔たりがあるのは確かなんだけど、そこからの展開が書けない。
難しいよねぇ。

ちなみに、私はネットは仮想の空間であり、現実とは確実に区別している。
なぜなら、ここを現実の延長にしてしまったら、おもしろくないよね?


私は極度のめんどくさがりやである。
私の三大原則は

「めんどくさい、どうでもいい、あっそう。」

こと、人間関係においてはそう思っている。
関われば関わるほどめんどくさい。
表面上適当に付き合っていれば良いのだ。
余計なことなどしなきゃ良い。
そうすれば、いざこざなど滅多に起きないし、淡々と日々過ぎる。
そしたら、人間関係の悩みや苦しみなんて他愛もないものになる。
みんなが笑っていれば、同じように笑い、怒っていれば怒る。




つぅか、ネットって何?


私にとってはこの日記を見てくれている人が全て。
その人たちがいなければきっと言葉なんて書かないだろう。



あかん、うまいこと書かれへん。気にせんでください。
すいませんねぇ、文章下手で。


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